11. インドネシアの若者たちとともに働く

こんにちは。

坂井です。

今日はインドネシアの若者たちと一緒に働くことについて。


技能実習、特定技能

弊社の社員は4人のうち3人がインドネシア人です。加えて現在は2人のインターン生をインドネシアから受け入れているため述べ5人のインドネシア人がいます。

国外人材の受け入れには技能実習という制度があります。
この制度は技術習得のために来日するという名目で1993年に始まりましたが、30年近く経過する中で人材不足を補うために使われるようになり、制度が実情に合わないものとなってきました。
そのような社会情勢の変化に合わせて2019年から特定技能という制度が作られました。こちらは労働力の確保を目的とした制度です。
弊社社員のインドネシア人3名は全員特定技能制度で来日しています。

働く側から見ても、技能実習が制度の実態に合ってないのは知られており、送り出すインドネシア国側でも問題として懸念されていることを、人材の送り出し現場に携わる方々から結構聞きました。(30年続く中で腐敗してしまった部分もあると思います)


制度的には変化してきているものの、技能実習的な側面は大事だと思っています。
彼らが日本に来る目的の第一は収入を得ることですが、収入を得るためだけに働くというのは大変なことです。
しかも家族や国を離れて外国に来ており、そこで過ごす働き盛りの大事な数年をただ収入を得ることのみを考えて過ごすというのは彼らの人生にとっては大きな損失です。
また、彼らを受け入れる側にとっても、一緒に働く人たちの時間をただ搾取し、人間的な関係を築けない形が常態化すれば、職場の雰囲気は創造的なものからかけ離れていき、人間関係から負の連鎖に陥ります。

働く人たちが誰であれ、創造的に、有意義に働くことは前提条件として絶対不可欠です。
そう感じられない場所であれば大事な時間を使って長く働くべきではありません。


今と未来に何を見ているか

インドネシアの若者たちは、発展し続けている自国の今と未来に期待や不安を感じながら色々吸収し続けています。
彼らにとっての関心の多くは家族であり仕事であり豊かになっていくであろうこれからについてです。
インドネシア全体ではデノミネーションや首都移転など大きな出来事が控えていますが、彼ら一人ひとりは国全体を見ているという感覚はあまりないように思います。
国土がかなり大きく、島が点在し、言語や文化も多様であり、イスラム教という通底する思想はあれど、様々なコミュニティが緩やかに繋がる大きな全体という感じのインドネシアでは、国全体についてはなんとなく俯瞰しながら自分の住む地域に根差しているような感じがします。


インドネシアで、日本には無い感じという意味で印象的だったことがあります。
国道のようなメイン通りから村に入る道に進むと通り沿いに家が並んでいるのですが、それら家と家の間を入るとさらに人が歩ける程度の道が網の目に続いていて、しばらく先まで行ってもずっと家があるのです。都市部の話ではなく農村の風景です。
これは日本の田舎ではみたことがありません。
日本の田舎であればメインの村道がり、その通り沿いに家が並んでいますが、家の裏手は山か畑というのが相場です。
あっても本家と分家、古屋と新屋という感じで2、3軒が並ぶ程度で、通りと直行する方向にも家が延々と並んでいるというのは新鮮でした。
長屋的な感じで奥の方にも別の家が続いている、という感じ。

この風景が印象的だったのは、なんというか地域が「かたまり」という感じだったのです。切れ目がなく、全体がひとつのかたまりという感じ。

日本の田舎ってもっと分断されています。
世代が抜けていたり、生活環境や感覚が全く違ったり、横にも縦にも人間関係に切れ目があります。
インドネシアでも世代間ギャップはありますが、イスラム教が通底しているというのも大きいかもしれません。

話を戻すと、彼らが見ているものはそういう身近な生活環境が今どうか、これからどうなっていくか、なのだと思います。個人でも国でもなく、自分が属する生活環境を見てる感じです。
そこには子どもたちをはじめとする沢山の人がいて、仕事は足りない。
街に働きに出る人もいるけど、それで農村が取り残されることは全く無いくらい農村に人が沢山いる。農村に仕事を作るのは必須課題で、若者が農業を勉強しにくる理由はその辺りにある。
彼らが日本から自分の地域に持ち帰れる農業技術を学び、それを持って帰って農業を発展させ、それによって農村に仕事が増え、活気が増し、生活が豊かになっていくのが理想的な形だと思う。
インドネシアの農村にはその活力がある。坂井はインドネシアの各地の農村でそう感じました。
彼らが弊社でいちごをやる中で、どうすれば創造性や意義を感じられるか。日々考えることが重要だと思っています。

 

日本の若者はどうか

同じ世代の日本の若者はどうでしょう。
もちろん見ているものは全く違います。
日本の農村の未来に何を感じているでしょうか。
もっといえば、都市部も含めて日本全体の未来に何を感じているでしょうか。
難しい問いです。
日本はもう十分に発展し、生活や環境は必要なだけ満たされ、これまでの延長線上に成長を描く必要はないところまで来ました。
物質的な豊かさではなく、生きる意味とか、内発的な何かとか、個々人固有の幸福の追求とか、全体というよりは個の幸福を出発点とした先にある未来を見ているように思います。

国全体が十数年以上の時間をかけて緩やかに小さくなっていく局面。
全く新しいものを取り入れたり作ったりするというよりは、今あるものの違う側面、新しい組み合わせ、深く掘り下げてみる、などの方向に進んでいる感じがします。発酵とか熟成という局面なのだと思います。

残念なのは国全体がそういう曲面を進んでいるわけではなく、そこにも分断、切れ目がある事です。
今までの形にこだわったり、変化できなかったり、という意識もまだまだ根強い事です。
所々発酵しているけど、乾き切ってるところ、腐敗しているところなどがまだらにある感じ。

社会が発酵、熟成にちゃんと舵を切れれば、創造的な展開があって面白そうなのですが。


インドネシアの農村の未来

坂井の父の実家は永禄から続く歴史ある場所ではあるものの、地域内の生活基盤はすでに絶え、地域が自立した社会を形成することは出来なくなりつつあります。
合併により長野県でもトップクラスの行政区域に入っているとはいえ、地域としてみれば維持していくのは難しいところです。
現在、小学生以下の子どもは1人もいないはずです。

なぜこうなったのか?
高度成長期に大きく変わり過ぎて、それまでの生活は途絶えてしまった。
田舎での暮らしがどれほど変わってきたは祖父から聞いてきた話でなんとなくは想像できます。
あまりにも変わり過ぎて元には戻らないことはわかる。
そのころと今とでは時代も違うので、インドネシアの農村がこれから同じ道を辿るとは思えませんが、坂井としては日本の農村の退廃は教訓にしてもらいたいと思っています。
そういう意味でも彼らが日本に来て技術や経験や社会変化から学んで持ち帰って自国で活かすという姿勢は絶対に大事にしたいし、それをバックアップするのが自分の役割だと思っています。

なので、インドネシアにも行くし、インターン生も受け入れるし、彼らと一緒に今できること、今やるべきことをやっていきたいと思っています。
(サムネイルの写真はインドネシアのいちご栽培の風景です。)


今回はインドネシアの若者たちとのことを書いてみました。
次は坂井が今いる場所、大鹿村でのこれからについて考えてみたいと思います。


「風の谷のいちご」

これは大鹿村でいちごを作っていくことにつけた名前です。
ブランド名とか商品名ではなく、農場の名前でもなく、ここでの農業につけた名前。
次回は風の谷のいちごについて。